福岡高等裁判所宮崎支部 昭和32年(ネ)193号 判決 1961年8月29日
控訴人 合資会社大野商会
被控訴人 浜井優光
主文
原判決主文第一・二項をつぎのとおり変更する。
控訴人は被控訴人に対し金一五五万円およびこれに対する昭和三〇年一二月四日から完済まで年六分の割合の金員を支払え。
被控訴人のその余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用は第一・二審共控訴人の負担とする。
この判決は第二項にかぎり被控訴人において金五〇万円を供託すると仮に執行することができ、控訴人において同額の金員を供託すると仮執行を免かれることができる。
事実
控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人の請求はこれを棄却する。被控訴人は控訴人に対し金六三万六、〇二五円および内金三〇万円に対しては昭和三〇年一一月二日から、内金一〇万円に対しては同月二二日から、内金一〇万円に対しては同月二三日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一・二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求め、なお、被控訴代理人は仮執行の宣言を、控訴代理人は仮執行免脱の宣言を求めた。
事実および証拠の関係は、
事実関係につき、控訴代理人において「(イ)、本件売買契約はつぎに述べるとおり法律行為の要素に錯誤があるから無効である。すなわち、控訴人が本件建物を買受けた事情は、控訴人は名瀬市中央通の商店街にある訴外久保忠志所有の同市伊津部一七二番、宅地三〇坪を賃借して木造瓦葺二階建店舗一棟建坪二四坪外二階二四坪を建設して食糧雑貨商を営んでいたところ、昭和三〇年一〇月一四日の火災により右店舗を焼失し、同所に再建築を計画したが、地主から敷地の返還を求められ、やむなくこれに応じ、市内に右に代る店舗敷地を求めざるを得なくなつた。そこで、同年一〇月一八日頃訴外福島菊四の斡旋により訴外上原牛助所有の店舗と敷地を買受けようとしたところ、敷地の一部が他人の所有に属し、その部分の買受又は賃借の見込がないことが判明したため、この売買契約は成立するにいたらなかつた。その後同年一〇月下旬頃右福島の報せで被控訴人が本件建物を売却する希望をもつていることを知り、被控訴人と売買の交渉をした結果、被控訴人は敷地賃借権の譲渡について地主から承諾を得ることは確実でありその承諾について被控訴人が全責任を負うことを確約したので、控訴人はこれを信じ本件売買契約を締結したわけである。本件建物の価格は敷地の賃借権が付かないとすればたかだか金三〇万円程度のものであり、その場所が名瀬市枢要の商業地帯であるため、電話一基付で金二一〇万円の高値で買い受けたのであり、本件売買はいわゆる「場所買い」が主目的であつたのであるから、もし、敷地賃借権の譲渡について地主の承諾が得られないようなことがあれば、控訴人は買受けることはなかつたのであつて、本件売買契約は契約の要素に錯誤があつたというべきである。(ロ)、さらに右が要素の錯誤にあたらないとしても、控訴人は地主の承諾は確実に得られるし、その承諾について全責任を持つとの被控訴人の詐言を信じたが故に契約を締結したのであるから、本件売買契約は被控訴人の詐欺にもとづくものというべく、控訴人は当審における昭和三三年五月一五日の口頭弁論においてこれを取り消す。(ハ)、よつて本件売買契約の無効・取消の主張をもつて被控訴人の請求を拒否するとともに、該主張を反訴の請求原因としても主張する。なお、控訴人が支払つた内金二〇万円は昭和三〇年一一月二二日と同月二三日に金一〇万円づつ支払つたのである。」と述べ、
被控訴代理人において「控訴人主張のとおり被控訴人が昭和三一年一一月一〇日控訴人から、本件売買契約を解除する旨の意思表示をうけたことは認めるが、控訴人主張の造作費金一三万六、〇二五円支出の事実は争う。控訴人主張の右の要素の錯誤、詐欺の事実は否認する。控訴人主張の内金二〇万円の支払日時が控訴人主張のとおりであることは認める。」と述べ、
証拠関係につき、被控訴代理人において、甲第四・五号証を提出し、当審証人前田武治(第一・二回)・富山謙・里原慶寿・浜井美恵の各証言ならびに当審における被控訴本人尋問の結果を援用し、乙第六号証の一・二の成立を認め、控訴代理人において、乙第六号証の一・二を提出し、当審証人福島菊四・中本英一・小久保清光・永田清成・大野テツ・久保井米栄(第一・二回)・久保井清二・大野重隆(第一・二回)・富岡栄・瀬戸山剛・永井喜久男の各証言と当審における控訴会社代表者大野貢の尋問の結果を援用し、甲第四・五号証の成立を認めたほか、
原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。(ただし、原判決一枚目裏八行から九行にかけて「主文第一項」とあるは「被告(反訴原告)は原告(反訴被告)に対し金一六〇万円およびこれに対する昭和三〇年一一月一六日から右完済まで年六分の割合による金員を支払え」の誤記であるから、そのように訂正して引用する。)
理由
一、被控訴人を売主とし、控訴人を買主として本件建物(借地権共)について、昭和三〇年一一月二日被控訴人主張内容の売買契約を締結したことは、地主から建物敷地の賃借権の譲渡の承諾を得ることが被控訴人の義務内容になつていたかどうかの点を除き当事者間に争いがない。
二、本件における第一の争点は、本件売買契約において地主から建物敷地の賃借権の譲渡の承諾を得ることが、被控訴人の義務内容になつていたかどうかの点である。
一般的には建物の売買に伴う敷地賃借権の譲渡の場合に、賃借権の譲渡についての地主の承諾は売主において責任を負うのが普通であるといつてよく、それに当審証人大野テツ・大野重隆(第一回)の各証言と当審における控訴会社代表者大野貢の尋問の結果によると、本件売買契約締結までの控訴人側の事情が控訴人主張のとおりであつて訴外上原牛助所有建物の売買が成立しなかつたのも、地主が借地権についてその譲渡を承諾しなかつたがためであることが認められるので、以上の事実に、原審および当審証人大野重隆(当審は第一・二回)、当審証人福島菊四、小久保清光、永田清成・大野テツの各証言と原審および当審における控訴会社代表者大野貢の尋問の結果とを総合して考察すると、控訴人主張のごとく本件建物を控訴人が電話一基付金二一〇万円の高値で買受けたのは、その場所的利益を考慮したものであり、地主の承諾の有無については敏感になつており、将来承諾を得られない場合のことをも慮り被控訴人の責任において地主から借地権譲渡の承諾を得ることを契約の内容としたもので、被控訴人はまず、地主の承諾を得た上昭和三〇年一一月一五日までに代金と引換に所有権移転登記をなすことを約定したものと認めるのが相当である。
この認定に抵触する原審および当審証人前田武治の証言と原審および当審における被控訴本人尋問の結果は措信しない。また、本件売買契約の契約書である成立に争いのない甲第一号証に借地権についての記載のないことは前認定の妨げとはならないし、その他の証拠によつては前認定を動かし得ない。
三、ところで、控訴人は右売買契約は要素の錯誤により無効であると主張するので、その点について判断する。
控訴人が本件建物を買い受ける契約をしたのは、控訴人主張のごとく、その場所的利益に重点を置き敷地賃借権譲渡につき地主の承諾が得られるものと期待したがためであることは前掲証拠によつて認めることができる。しかし、前認定のとおり、本件売買契約においては右の地主の承諾を得ることを被控訴人の義務内容とすることに定めたのであり、いまだ地主の承諾を得ていないことは控訴人も十分知つており、控訴人は地主の承諾が確定的であるまで信じてこれを契約の基礎としていたものではなく或いは地主が承諾しないことのあることを予見し、特に承諾の責任を被控訴人に負担させるような契約をしたのであるから、右売買契約において控訴人に錯誤のないことは明らかである。被控訴人の義務の不履行によつて控訴人の期待する結果にならなかつたにすぎない。
したがつて、控訴人の法律行為の要素の錯誤の主張は理由がない。
四、つぎに、控訴人の詐欺による取消の主張について判断する。
控訴人は、被控訴人が同人の責任において確実に地主の承諾を得ることができるといつた詐言を信じたというのであるが、前認定のとおり、被控訴人は自己の責任において地主の承諾を得ることにし、これを契約内容にしたことは認められが、被控訴人が地主の承諾を得る意思もないのに得るように詐つたとか、地主の不承諾が確定的であるのを知つていて、あえて承諾を得ることができると詐つたなどの事実を認めるに足る証拠はない。かえつて、原審および当審証人久保井米栄、当審証人久保井清二の証言によると、被控訴人は本件売買契約の約二週間位前地主の久保井清二とその父久保井米栄に、本件建物を訴外安田孝雄に売却したいから同訴外人に対する借地を承諾してほしい旨申し込んだところ、久保井側ではこの機会に被控訴人の居宅(本件建物とは別)を移転してくれないかとの希望を述べたが借地について別段不承諾を表明しなかつたことが認められ、また原審証人前田武治の証言の一部によると、本件売買契約に際し、控訴会社代表者大野貢は被控訴人に対し「本件建物買受の内意を久保井米栄に告げたところ、同人から激励された」旨を述べていることが認められるので、以上の事実から推すと、被控訴人は借地権の譲渡について多少の曲折はあつても結局地主は承諾するものと考えていたことが窺知できる。そうすると結果においては本件建物焼失までに地主の承諾を得るにいたらなかつたものの、契約当時被控訴人は地主が承諾するものと考え、その承諾を得ることを自己の責任として契約したにすぎず、控訴人を欺罔して契約したのではないことは明らかである。
他に右の認定を動かすに足る証拠はない。
それゆえ、控訴人の詐欺による取消の主張も理由がない。
五、以上認定のとおりであるから、本件売買契約は有効に成立したと認めるべきである。
よつて、つぎに本件売買契約の成立により被控訴人主張のごとく控訴人が代金支払義務があるか、又は控訴人が主張するようにかえつて被控訴人に損害賠償義務があるかどうかについて審究する。
本件建物が本件売買契約締結後同年一二月三日の大火により類焼滅失したことは当事者間に争いがないので、まずこの滅失が被控訴人の主張するごとく債務者たる被控訴人の責に帰すべからざる事由による滅失となるのか、控訴人の主張するように履行遅滞中の履行不能として被控訴人の責に帰すべきかどうかについて判断する。
昭和三〇年一一月五日控訴人が本件建物の引渡を受けたことは当事者間に争いがない。もつともその後訴外前田武治が売買代金の支払を督促する目的で一日だけ本件建物に簡単な釘付けをしたことは当審証人前田武治の証言の一部により認められるが、当審証人富岡栄の証言によると同訴外人は直ちに釘付けを解いたことが認められる(右証人富岡栄の証言中その後本件建物焼失の日に再び釘付けしたとの証言部分は当審証人前田武治の証言と対比して措信しない)。したがつて、控訴人は本件建物売買契約後引渡を受け、焼失にいたるまでの間事実上本件建物を支配していたことが認められる。
しかし、前記二、において認定したとおり、本件売買契約では借地権譲渡に関する地主の承諾を得ることが被控訴人の責任になつていたのであり、右認定に挙示した証拠と成立に争いのない甲第一号証により考察すると、地主の承諾はおそくとも所有権移転登記期日の昭和三〇年一一月一五日までに得ることになつていたと認められるとともに、控訴人は契約内容の金員を準備し、再三被控訴人に対し義務の履行を催告したのに、ついに地主の承諾を得ることができないうちに焼失するにいたつたものであることが認められる。
だとすると、被控訴人がその義務の履行を遅滞している間に履行不能になつたことに帰し、その限りでは控訴人は本件建物の滅失による契約の履行不能を被控訴人の責に帰すべき履行不能として契約を解除し得るもののごとくであるが、更に検討すると、本件建物の滅失は前記認定のとおり、大火にもとづく類焼によるものであつて、たとい被控訴人が履行期に履行を完了していたとしても、なお、この滅失による損害は避けることのできなかつたことが明らかである(控訴人においてその以前に該建物を売却するとかその他の事由により損害を防止し得たことを認めるべき証拠資料はない)。
ところで、このような場合には債務者は履行不能の責を負わず、本来の履行を目的とする債権は消滅し、填補賠償請求権も発生しないと解するのが相当であるから(大審院大正一〇年一一月二二日、民録一九八六頁参照)、被控訴人は結局債務を免がれ、本件建物の滅失による危険は控訴人の負担に帰し、被控訴人は控訴人に対し反対給付を請求する権利を失なわないし、控訴人において契約解除をすることは許されないといわなければならない。
六、叙上のとおりであるから、控訴人は売買代金の残金一六〇万円(売買代金が一基の電話加入権付で金二一〇万円であり、控訴人が内金五〇万円を支払つていることは当事者間に争いがない)を約旨に従つて履行すべきである。もつとも本件売買代金の支払に関し控訴人において、被控訴人の負担する訴外信用金庫に対する金五〇万四、八〇〇円、訴外前田武治に対する金二〇万〇、二〇〇円の各債務を昭和三〇年一一月一五日までに引受けることを条件に同額の金員を右代金額から控除することに定めたことは当事者間に争いがないが、右期日までに控訴人が引き受けていないことは控訴人の主張自体によつて明らかであるから、被控訴人は控訴人に対し右金一六〇万円の支払を請求し得べきところ、被控訴人が売買目的の電話加入権を金五万円で他に売却処分したこと、その相当価額が金五万円であることが当審証人浜井美恵の証言と原審における控訴会社代表者大野貢の尋問の結果によつて認めることができるので、被控訴人の本訴請求は前記金一六〇万円より右金五万円を控除した金一五五万円とこれに対する商法所定の年六分の遅延損害金(本件売買契約が控訴人の営業のためにするものであることは控訴人の自認するところであり、商行為であることは明らかである)の支払を求める限度において認容すべきこととなる。
ところで、被控訴人は遅延損害金の起算日を本件売買代金の弁済期の翌日である昭和三〇年一一月一六日にしているけれども、前記説示のとおり、被控訴人の履行遅滞中に本件建物が焼失したのであるから、控訴人はそれまでは代金支払については同時履行の抗弁権を有していたことは勿論であり、控訴人が遅滞の責を負うのは右の同時履行の抗弁を主張し得なくなつた建物焼失の翌日である昭和三〇年一二月四日からといわざるを得ない。そうすると、被控訴人の本訴請求は結局金一五五万円とこれに対する昭和三〇年一二月四日以降完済まで年六分の割合の損害金の支払を求める限度においては正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきであり、控訴人の反訴請求は失当として棄却を免がれない。
よつて、原判決は被控訴人の本訴請求の損害金の部分に関し右と異なるので、これを変更することにし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条・第九二条を仮執行と仮執行の免脱について、同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 竹下利之右衛門 後藤寛治 横山長)